【大阪市西成区】Interview: 英米配信チャート実績で注目の西成発シンガーソングライターNISHIOKAさん「ライブもせず、海外にも行かず。でも音は国境を越えて届いた」

2025年5月1日にリリースされた楽曲『HANAZONO』が、英米の音楽配信チャートで上位にランクイン。米英のiTunesオルタナティブ・フォーク部門では1位、全米のシンガーソングライター部門でも3位に入るという快挙を成し遂げたのが、西成を拠点に活動するシンガーソングライターのNISHIOKAさんです。生まれも育ちも西成で、自身のルーツと向き合いながら音楽制作を行っているというNISHIOKAさんにお話を伺いました。

創作の拠点となるプライベートスタジオでギターやキーボードに囲まれるNISHIOKAさん(号外NET撮影)

ー イギリスとアメリカで音楽配信の上位に食い込み、ラスベガスのビルボードにはキービジュアルが映し出されているとは、すごいですね。
イギリスやアメリカで配信チャートの上位に入り、ラスベガスのビルボードに自分のビジュアルが映し出されたと報告が来た時には「ほんまかいな?」という感覚でした。シンガーソングライター部門で3位になったときは、正直めちゃくちゃ悔しかったです。どうせなら1位行け、行ってしまえ!って。オリンピックで銅メダルだった人の気持ちが、すごく分かりました。でも妻からは、フォークで1位取れたんやから、贅沢言わんとき、って怒られて。まぁ、一旦満足しておきます。と言いつつ、次にリリースする曲「GENKI DASEYO」は、ぶっちゃけ、こんなに売れるわけないやろ、って思っている曲なので、やっぱり今のこの状況を、両手を合わせてめちゃくちゃありがたく噛みしめておきます(笑)。

西成在住のシンガーソングライターNISHIOKAさん、米英配信チャートで上位にランクイン! ラスベガスの巨大ビルボードには楽曲「HANAZONO」の広告が掲出されています

米・ラスベガスでシングル曲「HANAZONO」のキービジュアルが巨大ビルボードに映し出されている。掲出は現地時間の7/30まで(提供:Tune Factory)

ー海外に行っていた訳ではないのですよね。
海外のどこにも行っていません。ライブもゼロ。完全にオンラインだけで、ひたすら営業を続けてきました。その結果『HANAZONO』が思っていた以上に聴いてもらえて、初めてミュージシャンとしてのスタート地点に立てたな、という実感があります。

「HANAZONO」に込めた西成の原風景

ー「HANAZONO」という曲には、どういう想いを込めたのでしょうか。
これは自分が子どものころに見てた西成の風景を、そのまま音にした曲です。暴動とか、貧困とか、差別とか、当たり前に存在してる街で生まれ育った。でもその街にいる人々は暖かいんです。それが自分の原点。ジャケットもね、当時、毎日見ていた高架下の風景そのままなんです。

nishioka

楽曲『HANAZONO』のジャケットビジュアルはNISHIOKAさんが幼少期に見ていたという高架下の当時の様子が描かれている(提供:Tune Factory)

現在の高架下の様子(号外NET撮影)

ー 楽曲制作もすべてご自身で行っておられるんですね。
元々は作詞作曲だけでしたが、現在は編曲も録音も、全て自分でやっています。

ー本格的にミュージシャンになったのはいつからですか。
19歳ぐらいの時から曲を作り始めて、ソロでライブハウスなどで歌い始めた時で、テレアポ営業をしていたのが20代前半の頃です。その時期にトップ営業マンになって、ビジネスをするのが面白くなって、起業して会社経営者になり、音楽活動からは離れてしまいました。2013年は業績不信で会社も経営難に陥り、長年信頼していた経営者仲間からの投資詐欺に遭ったり、同時期には前妻との離婚も経験して、人間不信に陥ってしまいました。そのような中で、個人として本当にやりたかったことを考えた時に思い出したのが、高校卒業と同時に一度目指したシンガーソングライターでした。テレアポして決定権者と会い、曲を聞いてもらう約束を取り付けて、結果的にメジャーレーベルと契約することができました。

ー メジャーレーベルと契約した後は、どのような音楽活動を展開されていたのでしょうか。
CDを出して、全国各地にライブをしに行ったり、ラジオ番組のDJもやっていましたね。ワンマンライブや自主ワンマンもやりましたが、その後、ライブ活動を2019年から一旦停止しました。何のために歌っているのか、答えを出せなくなっていて。精神的にも参ってしまいました。過去と向き合う中で、言葉と旋律の根を探すようになり、自分の音楽は、僕が生まれ育った西成という土地と、そこに流れていた時間や感情に深く結びついているなと、ようやく気づいたんです。メジャー時代には本名でやってたんですけど、アーティスト名義をNISHIOKAに変えて心機一転のスタートを決意しました。

西成発のシンガーソングライターが誕生

ーそうして音楽でまた再起を図られましたが、なぜ音楽なのですか。
人生がどん底だった時、唯一、もう一度やってみたいと心から思えたことだったからです。ビジネスでもなく、家庭でもなく、誰かとの勝ち負けでもない。もっと深く、もっと原点に近い場所で、自分がこの世に存在した証を残したいと考えた時、自然と浮かんだのが音楽でした。今さらプロを目指すなんて、と笑われるような年齢だったからこそ、逆に燃えましたね。もう一度、人生をかけて価値があるのは何か、と問い続けた末に辿り着いたのが、どうせやるなら自分の全てをさらけ出す音楽でなければ、意味がないという覚悟ができた。そうして生まれたのが、初めて自主制作したアルバム『ISHIKORO』です。

それまでの自分の再起の記録であり、心の変化のプロセスそのもの。だからこそ収録された3曲を繋いだミュージックビデオ「TORIKAGO」「Restart」「ISHIKORO」には、それぞれ明確な意味を込めています。

1stアルバム『ISHIKORO』は、2023年2月18日に発売された。メイン曲「ISHIKORO」のミュージックビデオは、大阪市西成区・大正区の間に架かる国道43号の道路橋の木津川橋で撮影している(提供:Tune Factory)

ー海外に音楽を配信し始めたきっかけは。
僕は洋楽が好きで、80年代のアメリカンポップスや、ブラックミュージックを好んでよく聴くので、自分の作る音楽も影響を受けてると思うんですけど、欧米のランキングを見ていて、今日本でバズってる音楽よりも、アメリカとかイギリスで聴かれてる音楽が、自分の音楽に近いものがあるなと思っていて。海外の人が聞いたら、どういう反応するんかな、と気になって。海外のラジオ局をネットで検索して自分のジャンルに合う曲を扱っている番組があるかどうかを調べて、翻訳サイトを使って定型文を作りながら、アルバムの収録曲をかけてもらえないかと、メールを送ることから始めました。後ろ盾が何もないからガンガン攻めたんです。

ー具体的にはどんなやり取りをされていたんですか。
無視もされまくりましたけど、中にはこんな曲、あかんわ、みたいな返事もあって。一番ダメなのが無関心。反応があったらよっしゃ、と。何か物申したいことがあって、感情が動いたってことなんで、何回か聴いてたら好きになるかもしれんし、って思うんですよ。僕、そういうところはポジティブなんです。20代の前半に、テレアポと訪問で契約取るっていう分野のトップ営業マンだったので、その経験が非常に活きたと思います。

ー 一番最初に楽曲をかけたラジオ局はどこの国ですか。
ブラジルのラジオ局がアルバムのタイトル曲「ISHIKORO」をかけてくれて、Spotifyでフォロワー4.3万人ぐらいの「acousticvibes」というプレイリストに入れられていたのがきっかけで、それからひと月ほどでイギリス、アメリカ、スペインの方面に自然と広がっていきました。そのラジオプレイの実績をもとに、同じアルバムの収録曲「TORIKAGO」も含め、他の楽曲をさまざまな海外の局にどんどん営業をかけました。完全にオンラインのみで、ライブ活動もせず、現地にも行っていない中で、こうしてリスナーが広がっていったのは、自分の中でも手応えを感じた瞬間でした。ラジオ局は、1ヶ月とか3ヶ月のスパンでかけてくれることが多かったですね。中には1年間かけてくれたラジオ局なんかもありましたね。

白地にISHIKOROの文字だけ? デザインがないジャケットで初心表明

ーISHIKOROのジャケットデザインについて特別な意図はありましたか。
メジャーレーベルを辞めて独立レーベルとして活動を始めたので、右も左もわからない、完全に全部ゼロからって意味を込めて、真っ白な背景にMSゴシック体でISHIKOROというテキストだけのシンプルなデザインにしました。

デザインのないISHIKOROのジャケットデザイン(提供:Tune Factory)

このジャケットの画像も含めて、海外のラジオ局に送った時、「バカにしてるのか」という反応もありましたが、それも予想通り。意図を説明した上で「あなたもプロのDJなら、中身の曲を聞いてから判断してよ」と返すと、そこから急に相手が好意的になってくれたケースもありましたし。返信がないところに迷惑メールっぽく「Hey, Warning〜」とかタイトルにつけて送ってたら「返事が遅くなってごめん」と来て、そこから曲を流してくれたDJもいましたし。メールだけじゃなくて、ラジオ局から「オンラインでインタビューしたい」って言われることもありました。僕は英語を話せないので、メールのやり取りでお願いしたりとか。

ーメールのやりとりは、レーベルのスタッフの方々が主に担当しておられるのですか。
スタッフには業務的なところで多面的にサポートしてもらっていますが、自身の作品を語るのは、必ず自分です。曲の背景や想いは、誰かに代弁されることなく、相手に丁寧に、真っ直ぐに伝えないと自分の曲が相手に届かないと考えています。今回もそうですが、取材で曲の背景や自身のストーリーを聞かれたら、必ずそれは自分で対応しています。

ーNISHIOKAさんの配信曲で、海外で他にもよく聴かれている曲はありますか。
1作目のアルバムのメイン曲は「ISHIKORO」なんですけど、今もずっと海外で聴き続けられているのは、実は「TORIKAGO」です。これは海外の人も受け入れてくれやすい曲だと最初から自信がありました。言葉を知らない人でも、TORIKAGO(トリカゴ)という簡単な4文字のワードとメロディが分かりやすくて耳に残るのか、簡単なので歌えてしまうし、曲中にヒップホップの音を意図的に加えているというのもありますね。

ーHANAZONOも、そういう点において工夫されたところはあるのですか。
実は、ドラムの音でブラックミュージックのリズムを取り入れていて、自然とノレて体を揺らしてしまうような、ダンスのようなリズムを感じ取っていただけているようです。海外では現在、TikTokでもユーザーさんが曲をシェアしてくれて、そこからじわじわと広がりを見せている状況です。

NISHIOKAさんのプライベートスタジオ(号外NET撮影)

ー 届けたい音をご自身で形にするときに、こだわっていることはありますか。
メジャーで活動していた時は、楽曲の方向性として打ち込み主体の音作りが多かったんですけど、自分としてはもう少し人力の音を追求したい気持ちがありました。今は、生演奏の持つ温度や音の揺らぎにこだわって録っていて。アルゼンチンのスタジオに出資していて、僕ができない部分とかは、向こうの演奏家にサポートしてもらっています。人間が演奏するときの微妙な0.0001秒のズレっていうんですかね。それがとても人間らしくていい。そもそも、シンガーソングライターの作品は、聴いて「上手いな」で終わるより、「なんか引っかかる」って言われる曲の方が絶対にいい。普通で終わるぐらいなら、気に食わないぐらいの方がいいとも思っているんです。

ーご自身でブログは書いていらっしゃるのに、XやインスタなどのSNSアカウントが全然、動いていないのは、なぜなのでしょうか。
メジャーの時にはSNS発信を頑張ってた方だと思いますが、今は沈黙しています。これは昔からなのですが、どうも僕が作るような音楽は、SNSから聴きに行ってもらえる動線になりえるのかと考えると、いまいちピンとこなくて。僕の分野じゃないな、って思うようになりました。SNSで新曲リリース、購入してね、ってアピールするのも大事かとは思いますが、人って売り手から強くお勧めされたら、ドン引きしたりすることってありますよね。電話出て営業丸出しテレアポトーク始まったら電話きりたくなるでしょ? それなら、音楽に詳しい人や、僕の音楽を気に入ってくれた人が紹介してくれて、それがシェアされて広がっていくのが理想的かな、と思ってのことです。それからこれは個人的な理由ですが、SNSを続けているとおすすめ広告の中に、楽器の広告が表示されることが多いので、僕のギター購入欲が抑えられないことを警戒していたりもします(笑)

壁一面に並ぶNISHIOKAさん愛用のギターたち。アコギからエレキまで、音楽活動を支える相棒たちが勢ぞろいしている(号外NET撮影)

「誰か一人に確実に刺さった」という感覚が一番リアル

ー今回、NISHIOKAさんにお話を伺って、リスナーの一人一人に、音楽を届けたいという思いを強く感じました。自身にとって、音楽が届いたな、と実感する瞬間はどのような時なのでしょうか。
自分の場合は、全く無反応じゃなかった時なんです。たとえば、Spotifyでプレイリストへの追加が増えて、再生回数が跳ねたり、知らない人が自分の曲を使って動画投稿してくれたり、そういうリアクションが来た時に「あ、届いてるな」と感じますね。初めてSpotifyで、自分の曲が勝手に入ってるプレイリストを見つけたとき、頼んでもないのに誰かが入れてくれたってことが、ライブで拍手されるより、よっぽど本物やと感じた瞬間でした。なぜなら、一人に刺さるという事は100人、1000人、10000人、それ以上に刺さる人が居ると思えるからです。

ー次の作品のリリースが間近だそうですね。
8月1日に新曲『GENKI DASEYO』を配信リリースします。ゴリゴリの日本語のJポップなので、正直、今回は海外で聴いてもらおうという意識が全く無かった曲なので、ポジティブに言えば大きな挑戦となる曲とも言えますし、ネガティブに言えば、海外では土俵にすら立ててないとも言えます。でも、短尺でどこまでやれるのか、と全てがシンプルな構成の今までに作ったことのない曲ができました。この曲でしんどいときとか、あと一歩が踏み出せへん人の背中を、少しでも押せたらええな、と思っています。秋にはまた次の展開を考えていて、海外にさらに受け入れられるような楽曲を携えて挑みたいと考えています。

(聞き手:すずまる/号外NET 浪速区・西成区)

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