【大阪市浪速区】ヒプマイで大ブレイク! 声優の野津山幸宏さんに、青春時代を過ごしたなんばや日本橋での思い出などを伺いました <ストフェスアフターパーティー2025>

人気アニメ映画『ヒプノシスマイク』有栖川帝統役で大ブレイクし、『終末のワルキューレ』『Live us』『東京リベンジャーズ』などの数々の人気作に多数参加している人気声優の野津山幸宏さんは大阪出身。2025年5月18日に開催された『日本橋ストリートフェスタ2025』の公式アニソン&DJイベント『ストフェスアフターパーティー』に出演した野津山さんに、地元・大阪への思いや、声優を志したエピソード、そして昨年の夏に初めて海外のフェスに出演した時の体験などを伺いました。

提供:株式会社ステイラック

——日本橋ストリートフェスタのことをご存知でしたか。

野津山さん:オファーをいただいた時に、20年前から実施されているイベントだって聞いて驚きました。コロナ禍以降、昨年ストフェスが復活し、今年はさらにストフェスアフターパーティーが復活するという記念すべき時に、声をかけてもらえたのが本当にうれしかったです。やっぱり、生まれ育った大阪のまちで仕事させてもらえるのは、格別な思いです。

——今回、歌われた楽曲を教えていただけますか。

野津山さん:『Bling-Bang-Bang-Born』(Creepy Nuts)、『メリッサ』(ポルノグラフィティ)、『ババーンと推参!バーンブレイバーン』(ブレイバーン)、『GO!!!』(FLOW)の4曲を歌わせていただきました。

——大阪府出身だそうですが、どちらのあたりなのでしょうか。

野津山さん:市内の平野区です。まさにこの会場(Zepp Namba)からも近くて、ちょっと南の方ですね。最寄り駅でいうと、JRと大阪メトロの平野駅になります。

——平野区にお住まいだった頃は、日本橋やなんばのエリアには来られていたのですか。

野津山さん:もちろんです。特に高校生の時によく来ていましたね。一番くじを買いに、日本橋のアニメショップを回ったりしていました。

日本橋・オタロード周辺

日本橋のオタロード周辺(号外NET撮影)

高校の同じクラスに歌がうまいヤツがいて、学校帰りには、なんばまで遊びに行って、晩飯食べて、カラオケして帰るっていうことも多かったです。ある時、なんばパークスで、イルミネーションのツリーがあって、きれいやなあと男2人で見てたら、いきなりスペシャルイルミネーションっていうんですかね、点灯イベントみたいなものが始まったんですよ。全然誰もいなかったのに、いきなりカップルがどどっと集まりだして。「やばいやばいやばい。逃げろー!!」と人波をかきわけ逆走しました。僕らあの頃はモテなかったんで……(笑)。

なんばパークスの憩いの場・パークスガーデン(号外NET撮影)

——他にも、行かれていた場所などはありますか。

通天閣にも何度か行ったことがあります。日本橋筋商店街からも歩いていける距離ですしね。そうそう、デビューしてから2年ほど経った時に写真集を出版したんですけど、撮影は大阪ロケで、通天閣の前でも撮影しましたね。

恵美須町側から見る通天閣

恵美須町側から見る通天閣(号外NET撮影)

——上京以来ずっと、東京を拠点に活動されているんですよね。

野津山さん:事務所もスタジオも東京にあって、基本的には東京がベースです。大阪には20歳まで住んでいました。高校卒業後は、大阪アミューズメントメディア専門学校(大阪市淀川区)に進学して2年、声優の勉強をして、20歳で上京しました。

——音楽の勉強もその頃からなさっていたんですか。

野津山さん:実は音楽の勉強を本格的に始めたのは、プロになってからなんですよ。専門学校でも選択はできたんですけど、僕は声優の授業をメインで受けていて、歌はほとんどやっていませんでした。声優として活動し始めてから、歌もやらなあかんのや、って。ヒプマイのオーディションではラップの課題があり、未経験ながら必死に取り組みました。

——声優になりたいと思ったきっかけとは。

野津山さん:実は僕、最初は“ものまね芸人”になりたかったんです。人を笑わせるのが好きで、ものまねも得意だったんですよ。でも、親から「芸人さんって体張るし、ちょっと見てられへん」と反対されて。他にやりたいこともないなぁ…と思ってたときに、テレビのモノマネ番組に、山寺宏一さんが出演されていたんですよ。「失礼ながら当時は知らなくて、誰やろ?」となって、調べたら“声優”という職業の方だと。それまで、アニメのキャラは、誰かの声で喋ってるなんて考えたことなかったぐらい無知のレベルで(笑)。そこから興味を持ち出して、アニメを見るようになって、声優に憧れるようになったんです。

——デビューのきっかけは。

野津山さん:人生で3回目ぐらいのオーディションで『ヒプノシスマイク』の有栖川帝統役に受かったんですよ。あれがなかったら、今の僕はいないと思います。受かった後の1年くらいはヒプマイ以外、ほとんど仕事がなくて、オーディションも落ちまくりで……。でも、あのタイミングで帝統に出会えたのは、本当に運命だったと思ってます。親からは「大学には行ってくれ」と言われてたんですけど、僕はもう「やりたいことしかやりたくない!」って(笑)。結果的にその選択がなかったら、ヒプマイには間に合ってなかった。本当にタイミングって大事やなって思いますね。

——海外のフェスにも出演しているのですか。

野津山さん:そうなんですよ。ヒプマイの仕事で、昨年の夏にロス(米・ロサンゼルス)の『アニメエキスポ』に行ったのが初海外でした。現地では自分の出演作のコスプレをしてくれている人もいましたし、日本のアニメがめっちゃ愛されてるのを肌で感じましたね。現地では、ロビーが70階にあるホテルに泊まったんですよ。ロビーが70階って!フロントも70階!泊まるのは36階(笑)。今まで経験したことがなかったので、新鮮でした。

——声優という仕事に関して、日本と海外では何か違いがあるのでしょうか。

野津山さん:海外では“声優”っていう職業があまりなくて、声優という職業があっても、日本ほど多くはいないそうです。俳優さんが声も当てるのが普通みたいで。日本でも昔は、俳優さんがアルバイト的に声を当てていたらしいんですよ。だから、日本みたいに声優がひとつの専門職として確立されていること自体、世界的にみてもすごいことなんだと思います。

ストフェスアフターパーティー2025のライブ風景

ストフェスアフターパーティー2025のライブ風景(号外NET撮影)

——大阪に帰省なさる頻度はどのぐらいですか。

野津山さん:少なくとも年に1回以上は何かしらの仕事で帰ってきています。やっぱり大阪出身ということでイベントに呼んでいただけることも多いですし、帰ってくるたびに原点の場所だと感じるし、大阪の魅力を全国や海外の人々にもっと知っていただけるような活動もしていきたいですね。こうしてまた大阪でイベントに出演できるのは、応援してくださっているみなさんのおかげです。地元での活動は本当に嬉しいですし、もっともっといろんな形で、みなさんと楽しい時間を共有できたらと思っています。これからも、よろしくお願いします。

Zepp Namba

Zepp Namba(号外NET撮影)

終始リラックスした様子で、関西弁を交えながら気さくにお話しくださった野津山さん。近年は海外イベントへの出演オファーも増えてきているそうです。活躍の根底にあるのは、声優という仕事への情熱と地元・大阪への変わらぬ想い。これからのさらなる飛躍に期待が高まります。

(聞き手:すずまる 号外NET浪速区・西成区)

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